昨日ブログに書こうか迷って、一日考えて書くことにしました。
たぶん長文になると思います。
昨年、20日。
私は緊急手術のため入院することになりました。
子宮外妊娠と診断されたためです。
このことを知っているのは周囲でもごく少数なので、わざわざ今更書かなくても・・・と思ったりもしましたが、悲しかったこと苦しかったことに目をそむける必要はないように思えて。
さて。
昨年12月20日は、心音を確認するために病院へ行く日でした。
第2子は里帰り出産と決めていたので、近所の小さな産婦人科で検診だけ通うことにしていました。
モニターに映る胎児の心臓は元気いっぱい。
驚くことに、それはふたつ。
つまりは双子を授かっていることが判明したのです。
ベビーカーどうしよう。
今のマンションでは狭いから引っ越ししなきゃかな。
そんな幸せな悩み事が脳裏をグルグル。
でも、先生はとても辛そうな顔で、この映っている場所は子宮ではありませんとおっしゃいました。
そして、今から絶対安静で大きな病院に搬送し緊急手術となります。とも。
頭が真っ白になるということはこういうときのことを言うのですね。
外妊がどういうことか多少知識があったので、ただただ泣くことしかできませんでした。
たった今、元気な様子を見たばかりなのに。
産んであげられないなんて残酷すぎる。
帰宅したら妊娠していることを知らないジイに連絡してびっくりさせるつもりだったのに。
とんでもない連絡となってしまいました。
パパが病院に到着してから救急車で総合病院に搬送されました。
息子は義父母にお願いすることに。
総合病院は息子を出産したところです。
まさかこんな状態で再来するとは・・・。
妊娠8週ということと、双子ということで開腹手術となりました。
胎児がいる右側の卵管を切除する手術です。
だいたい、ここまで大きくなって(しかも双子だし)よく無事でしたねと言われました。
外妊は発見が遅れると妊婦の命も危険です。
私もあと1日遅ければ破裂して大変なことになっていたであろうと術後に説明がありました。
あとになって思えば、息子のときよりも悪阻がひどく、ほとんどをおうちで寝て過ごす毎日だったのが結果として良かったのかもしれません。
きっとふたりが私を守ってくれた。
そう思うことにしました。
左側の卵管は残っているので、今後妊娠することも可能だし。
不幸中の幸いなのだと思うしかありません。
入院中は、これまでにない辛さでした。
数日は個室だったので、思う存分泣いて泣いて過ごしました。
4人部屋に移ったころには家族が恋しくてたまらない。
クリスマスだというのに、私は家族に何もしてあげることができない。
本当に辛い日々でした。
そして。
隣のベッドの方にお見舞いに来た人の中に、赤ちゃんを抱っこして来た人がいました。
どうして連れてくるかな・・・
隣の方は流産でした。
そんなときに赤ちゃんの泣き声なんかは聞きたくないでしょう。
私だって聞くのが辛かった。
預けられないのなら、お見舞いなんて来なくて良いのに。
術後の経過はとても順調で、10日で退院できました。
自宅と実家で少しのんびり過ごしましたが、わんぱくな息子と遊んでいれば体力はすぐに回復。
横に7cmくらいある傷は、あの子たちが授かった証拠の傷です。
実は退院する前日、先生に無理を言って胎児の写真を見せてもらいました。
8週に入っていたので、人のかたちになっていて目や指も形成されていました。
ふたりは背中を寄り添うように仲良く写っていました。
その姿を目に焼きつけ、気持ちを1歩前進させるしかありません。
1年が経過しても悲しみが減ったわけではありません。
それでも、前向きに過ごしてきたおかげで笑っている時間が多かったように思います。
外妊を経験してしまった人へ。
おもいきり泣いたら笑いましょう。
最初は辛いかもしれないけれど、笑顔を待っている人がたくさんいるはず。
ゆっくりがんばろう。
何度聞いても
2007/12/22(Sat)18:14:17
涙があふれて止まない話。
どれだけつらかったか計り知れないし。 私も結婚したら子供を授かり、育んで・・ 予定ではそうだったけど(^_^) 可愛い姪っ子・甥っ子のあなた達が 母となり、父となっていく姿に 今は十分かな(*^^)v |
Re:幼いころは
2007/12/23 01:15
結婚したら妊娠するのが当たり前と思っていました。
外妊するまでは、妊娠したら出産することが当たり前と思っていたように思います。 この歳になって、現実を目の当たりにして愕然としました。 taka&tokiさんの辛さも計り知れないよ。 そちらで飲み語り合った夜、「それでも一人産めたのだから幸せよ。」という伯母の言葉。 心に刻んで前向きに頑張ろうと思います。 |